Profile
プロフィール
県立横須賀高校(58期)、慶應義塾大学法学部政治学科卒大学在学中に、南開大学(中国・天津)へ派遣交換留学。(株)ワーク・ライフバランス(インターンシップ)、アクセンチュア(株)を経て、東日本大震災復興支援のため福島に移住、復興支援団体(一社)Bridge for Fukushimaに勤務。また、復興庁福島復興局政策調査官を兼任。その後地元横須賀に戻り、2017年横須賀市議会議員初当選。2019年再選。2023年3選。
会派:よこすか未来会議(副団長)。三浦半島地域連合推薦(情報労連)。
人生年表
- 0歳生まれる1988
1988年3月8日 / 神奈川県横須賀市にて生まれ育つ。厳密には、生まれた病院は母の実家から近い若草病院(横浜市金沢区)ですが、当然記憶はないです…。
- 6歳小中学校1994
横須賀市立浦賀小学校卒業→浦賀中学校入学。中学2年の時は、学校に行く前に浦賀の港で釣りをするくらい、釣りが大好きでした。陸からルアーを投げて太刀魚がやたらと釣れた時期があり、本当に毎日通ってました(それも登校する前の早朝に…)。
- 15歳高校時代2003
県立横須賀高校(58期)入学。ソフトテニス部。週1回、夜は久里浜のスタジオアプローチで仁(じん)先生にドラムを習っていました。
- 18歳大学時代2006
慶應義塾大学法学部政治学科入学。中国語インテンシブコースに所属し、中国語と近現代中国政治にどっぷり漬かる。安田淳先生、林秀光先生、馬燕先生らにお世話になりました。また、中国に限らず地域研究(area studies)が好きだったので、アメリカ史の授業にもだいぶ入れ込んでいました。政治学科の王道(?)ともいえる政治学系の科目では、細谷雄一先生の「西洋外交史」にのめりこんでいました。
- 19歳吉田雄人横須賀市議会議員インターン2007
吉田雄人インターンシップ生。生まれ育った横須賀市で、議員をしている高校の先輩がいるということで、参加したのがきっかけ。市内路上生活者のシェルターに取材にいったりしました。
- 20歳中国留学
4月高橋伸夫研究会(近現代中国政治史)に入ゼミ。同年9月からは、慶応をいったん離れ、南開大学(中国・天津)へ派遣交換留学。中国語が話せるようになり、同大学周恩来政府管理学院(政治学科みたいなところ)では、中国の学生と肩を並べて政治学を学びました。また、時間をつくっては中国で働く日本の人たちから話を聴いて回り、進路を模索し続けていました。
- 22歳大学卒業2010年9月
慶應義塾大学法学部政治学科卒業 9月卒業は人数が少ないので、法学部長から直接卒業証書をいただけます。 いつも楽しく聴いていた現代中国論の国分良成教授が法学部長を務めていらしたので、喜びもひとしおでした。 時期は前後しますが、同年6月から翌年2月まで、(株)ワーク・ライフバランスでインターンシップ生をしながら、「人は働くために生きているのか、それとも生きるために働いているのか、はたまたそのどちらでもないのか」などと悶々と考えていました。
- 23歳アクセンチュア入社2011年5月
5月、アクセンチュア(株)入社。2011年9月~翌年2月は、中国・大連でのプロジェクトに新入社員ながら加えてもらい、データ移行のチームに所属して日々現地法人の中国メンバーと仕事をしていました。
- 24歳福島での復興支援2012
アクセンチュア(株)を退社し、復興支援のため4月に福島に移住しました。復興支援団体(一社)BridgeforFukushimaの職員として、当初は支援物資の乳幼児世帯向け配布、やがて沿岸部の視察案内、在京企業と現地NPOのマッチング、高校生向けプロジェクト型学習など、「やれることはすべてやろう」と事業を増やしていきました。
- 26歳
復興庁福島復興局政策調査官を兼任。被災企業とのマッチング事業「結の場」の担当者として、被災企業のヒアリング等を担当していました。NPO職員であり、国家公務員でもあるという、かなり特殊な状況で仕事ができました。
- 28歳政治活動をはじめる2016
4年半の復興支援を経て、横須賀へ戻ることを決めました。
- 29歳市議会議員 1期目2017
横須賀市議会議員補欠選挙にて、当選いたしました。
- 31歳市議会議員 2期目2019
横須賀市議会議員選挙にて、当選いたしました。